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ブラガサキ なぜ田能遺跡は今も残っているのか(後編)

尼崎市の上のほうに位置する田能資料館(田能遺跡)。
前回は遺跡の秘密を紹介しました。

今週は資料館の収蔵品と田能の昔の姿を紹介します。

なぜ田能遺跡は今も尼崎市のその姿を残しているのか?
今日も田能でブラガサキ。


今もいる弥生人

資料館を入ってすぐに、発掘された2名の弥生人が横たわっています。
約2千年前の人が目の前にいるという、不思議な気持ちを味わえます。

死してなお文句を言う弥生人(笑)
確かに壺みたいな棺に赤ちゃんが入れられていたり、変な姿勢で入れられていたりするのを見ると、狭かったのでしょうね。
こんなにはっきりと形が残っていることに驚きました。


南部には弥生時代の遺跡がない!?

職員が不思議なことを口にしました。

「尼崎市内でも南部には弥生時代の遺跡がないねん。」

なんで??????

たかだか10キロくらいしか離れていないのに、なぜ南部には弥生時代の遺跡が「ない」と言い切れるのでしょうか。

その答えがこちら

当時、尼崎市南部は海でした!!!

現在の田能遺跡は内陸のイメージですが、当時は猪名川の河口だったんですね。
たった2千年前なのにずいぶんと地形が違うことを初めて知りました。
田能が河口!?とても意外です。


職員「これだけは絶対見て」

続いて資料館の職員が一番おすすめする収蔵品。
それがこちら

碧玉製管玉~!!!(CV水田わ○び)

田能遺跡から見つかった、弥生人が身につけていたものです。

この首飾り、ただの首飾りではありません。
下の写真をよくご覧ください

1つずつ微妙な色の違いがあるのが分かりますでしょうか?
色が鮮やかなものは大陸からの輸入品、くすんだ抜け感のある色のものは石川県産と分かっています。
今や石川県まではサンダーバードで一瞬ですが、当時は弥生時代です。

なぜ尼崎の弥生人が輸入品や石川県産のものを持っていたのでしょうか。


もう1つ職員のおすすめがこちら

白銅製の腕輪~!!!(CV水田わさ○)
※夏場はレプリカを展示しています。

この形は長年かけてゆがんだのではなく、もともとこんないびつな形です。
ゴホウラという貝を切り出してできた貝輪を白銅(本当は青銅)で再現して作ったものです。
写真の矢印のように欠けた箇所もなぜか忠実に再現したため、前衛的なデザインになっています。

ゴホウラは、現在の奄美大島より南にしか生息していません。
この地域の人々は巻貝に呪力があると信じていました。

それが九州では、貝製の腕輪に加工してつけることで呪力を得られると考えたのでした。

さらにその考え方は、貝輪をまねた青銅製の腕輪が田能遺跡で見つかったことにより、尼崎市に伝わったことが分かります。

なぜ九州の魔除けの腕輪を尼崎の弥生人が持っていたのでしょうか。

  • 弥生時代の田能遺跡は河口だった

  • 大陸や石川県産の宝石を身に着けていた

  • 奄美大島近海にしか生息せず、九州に魔除けとして伝わった貝の腕輪を持っていた

ここから、この首飾りや腕輪をつけていた人は
田能で交易を仕切っていたっぽい人であったと考えられます!

1つずつの発掘品や当時の地形がすべてひとつの線につながりました。
発掘品には意味があるんですね。


なぜ田能遺跡は今も残っているのか

さて、本日のお題に戻ります。
先ほど紹介した地形図を見るとほかにも遺跡はあったのに、なぜ田能遺跡だけは今も残っているのか。
その答えも田能資料館にあります。

田能遺跡は今から約50年前、工業用水の配水場建設の最中に発見されました。
しかしながら、当時は地盤沈下対策として工場への配水場建設工事は欠かせない事業であったこと、その事業は尼崎市だけでなく西宮市、伊丹市とも合同であったこともあり、止めるわけにはいきませんでした。

発掘と工事が同時進行する中、ブルドーザーで破壊される貴重な遺構。
その状況下で、市民が中心となった保存運動が起こります。

当時、田能遺跡の調査は考古学を学んだ学校の先生が担当していました。
調査団長をしていた先生が、考古学会で呼びかけたことで、全国よりたくさんの考古学者が集結しました。
また、発掘作業には学者だけではなく一般市民や生徒も参加しました。
弥生人発見のニュースで、田能遺跡には多くの人が見学に押し寄せました。

発掘作業をおこなう中、田能よりはるか南、阪神尼崎駅近くの中央商店街の店主が中心となり、調査員らに対して差し入れをしたり、炊き出しをしたりしました。
そのため阪神尼崎駅近くの本興寺で、重要文化財に指定されているふすま絵の前で集会をしている様子の写真も残っているとのことです。

尼崎は人情のまちといいますが、この頃から人情味あふれる助け合いのまちだったことが分かります。
この人情が日本中に知られる保存運動の大きな力となりました。

そして保存運動は尼崎市民だけでなく、阪神間にも広がります。

田能遺跡保存後援会の声明など

発掘に関わった考古学者のひとりは「長い人生でこんなに市民の熱意を感じた保存運動は尼崎市だけだった」と言ったそうです。

田能遺跡は市民に愛され、大事に保存され、令和のいまも弥生の風を吹かせています。


勉強だけでない田能遺跡の楽しみかた

はてさて、田能資料館・田能遺跡の楽しみは歴史を学べることだけではありません。
そのひとつが「体験学習」です!

今や博物館での体験学習は一般的なものとなっていますが、そのさきがけが田能資料館です。
中の人も昔、近くの資料館で土器のプラバン作り体験を楽しんでいました♪

田能資料館で有名な体験学習が「青銅器づくり体験」です。
自分でデザインした本物の銅鏡を作れる楽しみがあって、全国的にも珍しい学習会だそうです👀!

銅を流し込んでいます
本当に使えそう!


さらに驚きのイベントが。
それはハロウィンの時期に行われる「たのうぃん」で開催される「めだまはこび」選手権です!物騒すぎワロタ。
昨年の参考画像がこちら↓

やっぱり物騒すぎワロタ。気になる方はぜひ参加してみてください。

またさらに聞きなれないものが。
それは「脱粒王(だつりゅうおう)」選手権。
割りばしを使い、制限時間内に稲穂からどれだけ多くお米をはずすことができるかを争うものです🌾
昨年の脱粒王ランキングがこちら↓

今年の脱粒王を目指してぜひご参加ください!


田能資料館の楽しみかたはイベントだけではありません。
広い園内には豊かな自然とゆったり座れるベンチがあります。

前編で紹介したように、サイクリストの休憩場所にぴったりです!

別に自転車に乗っていなくても、ベンチに腰掛けゆっくり読書するもよし。
ただただ園内を歩くだけでもよし。
遺跡や収蔵品をじっくり見てみるもよし。
鳥のさえずりを聞くもよし。
飛行機のエンジン音で機体を特定するもよし。(職員がガチでやっています。)

田能資料館の楽しみかたは人それぞれです。

市民に愛され、保存されてきた田能遺跡。
これからも市民に愛される場所であるようにすることが、50年前の保存運動にたずさわった方への報いになることでしょう。
これからも職員全員で盛り上げていきます!

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