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ブラガサキ 今が旬の田能遺跡(前編)

弥生時代の尼崎市ってどんな感じだったか、想像できますか?
なんと尼崎市には弥生時代を感じられるスポットがあるんです。

しかも弥生時代だけでなく、令和の空気も味わえる、そんな不思議な場所。今日は田能でブラガサキ。


本日のお題

田能資料館(田能遺跡)は尼崎市の右上のほうにあり、伊丹市と豊中市とのほぼ境目にあります。

今回はその田能資料館の職員から

「今、高床倉庫が見ごろを迎えていますよ!」

との連絡を受け、やってきました。

あまりにもパワーワードすぎる。高床倉庫はお花の一種なのでしょうか。

気になりすぎるのでさっそく市役所からリンリンします=3


実はサイクリストのための施設!?

市役所から田能資料館までは約8キロ、40分ほどで到着します。

実は田能資料館はサイクリストに一番優しい公共施設です!

まずはこちら

田能資料館にシェアサイクルのポートが設置されました!
最寄りの鉄道駅(阪急園田駅)にもポートがありますので、らくらく行けるようになりました。
また豊中市側の鉄道駅(阪急曽根駅)にも同じハローサイクリングのポートがあるので、どちらからでも行き来がしやすくなりました。

さらにこちら

めっちゃいいサイクルラック完備☆彡
これでロードバイクでの来場も問題なし!
田能資料館の前は猪名川・藻川サイクリングロードなので、実際来られるサイクリストも多いとのことです。うれしいですね。


さらにさらにこちら

尼っ子リンリンステーションに指定されています!
尼っ子リンリンステーションとは、無料で自転車の空気入れが借りられるスポットのことです!
気づいたらタイヤがベコベコだったとき、ぜひお立ち寄りください。

さらにさらにさらにこちら

ボトルさえあれば無料で給水できます!
ペットボトルでもOK☆
田能資料館周辺はあまりコンビニがないので、前記事の中の人のようにのどが渇いてもうだめかもしれないと思ったときはぜひお立ち寄りください。

※職員は給水前に手洗いと消毒を徹底していますのでご安心ください。
※お水は常温です。ウォーターサーバーを期待しないでください。。。。


見ごろを迎えた高床倉庫とは

もうさっそくですが、我慢できないので紹介します。

今、田能資料館の高床倉庫は20年に1度の建て替えの真っ最中
その工事の様子がアツいんです!

ちょうど訪れた日の前日に屋根がとりつけられ、おおまかな輪郭が見えてきたところです。
今回は特別に許可をもらって現場に潜入しました。(安全確認済)

大工さんのこだわりで、どうしても安全に関わるところ以外はできるだけ当時の工法に近づけて再現しています。

よく見ると木を組んでいます。
少しの湿気で木材が曲がったり、ぴったり合わないとはめ込めなかったりするので、微調整に微調整を重ねた緻密な作業が要求されるとのこと。
大工さんだからこそなせる業ですね。


こちらは職員いちおしのアングルから撮影したもの。
屋根がないからこそ、そこから見える青空と緑と圧倒的存在感の高床倉庫。これは納得ですね。


屋根は大工さんこだわりのサルスベリ。
また、これらを束ねているのは結束バンド!
ではなく、フジのツルを水に浸けて柔らかくしたもの。
弥生時代に結束バンドはありませんからね。

言ってしまえば、屋根の骨組みは完成すると見えなくなってしまいます。
それでも見えない場所にもこだわる大工さんたちの意地が伝わってきました。


そしてこちら、大工さんはなにをしているのでしょうか?

これはちょうなではつっています!
「手斧(ちょうな)」は、木材の表面を平らに整える(はつる)道具です。
ちょうなではつるは初めて知りました。ここにもこだわりが見えます。


こちらは建て替え前の屋根を下ろしたもの。工事現場の外にあるので誰でも見ることができます。
大工さんのご厚意で、屋根のつくりを見てもらうために置いてあります。

高床倉庫の設計図はありますが、工法については大工さんが建て替え前のものをバラすときに確認して工程を練っているとのこと。

大工さんにかかれば令和の工法で高床倉庫なんかは(なんかというのは失礼ですが)すぐ簡単に完成すると思います。
けれども、できるだけ弥生時代当時の工法にならい組み上げていくことで、弥生の文化を大切にすることや継承していくことの大切さを実感しました。


そもそも田能遺跡ってなんの遺跡?

高床倉庫の見ごろについて述べましたが、そもそも田能遺跡ってなんの遺跡かご存知ですか?

田能遺跡はおもに弥生時代の村とお墓の遺跡です。

園内のいたるところに謎のお花が植わっていますが、これはお墓が発掘されたところなんです!
いろんな形の棺があり、弥生時代の死者の埋葬方法が分かります。

もともと、田能資料館のあった場所にも住宅はありました。
それが再現されて2種類のお宅が建っています。

まずはこちら

こちらのお宅は「方形竪穴住居」といいます。
家の形が四角形(方形)で、地面を掘り下げて(竪穴を掘って)作られています。
中は遮光性抜群です。ホームシアターとか置きたいですよね。弥生時代にはありませんが。

そして2軒目がこちら

こちらは「円形平地住居」です。
先ほどとは打って変わって家の形が円形で、室内を掘り下げているのではなく少し盛り上げています。
こちらも遮光性抜群です。涼しいので休憩にぴったりです。

写真では見えませんが、この家↑に突き刺さるようにお墓があります。
どんな設計したんや…と思いますが、この2つは同時にあったわけではありません。
何らかの理由で住宅がなくなったのちに、この一帯は墓地となったようです。

その時代に村があったのは、遺跡の北側にある配水場あたりとのこと。

当時は墓地と住宅地が隣接していたんですね。

そして田能遺跡には「方形周溝墓」という弥生時代の特徴的なお墓があります。
それがこちら

四角形のお墓で、周りに溝が掘られています。

このようなお墓の形を見ると、堺市の仁徳天皇陵を思い出し、埋葬されている人はきっと高貴な方だったんだなと思ってしまいます。

しかしながら、1つの方形周溝墓に高貴な人1人が埋葬されているのではなく、親族単位で埋葬されていたと考えられます。

このことが分かったのは尼崎市の東武庫遺跡の発見でした。
この発見は定説に大きな一石を投じました!
すごい発見が尼崎市にあったんですね。


田能資料館の中身は?

さて、ここまでは田能”遺跡”を紹介してきました。
じゃあ田能”資料館”にはいったいなにがあるんでしょうか?
そもそもなぜ田能遺跡は今も残っているんでしょうか?

気になるその答えは次週!
次回もレッツ ブラガサキ。

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